もうひとりのわたしがどこかとおくにいていまこの月をみているとおもう

(抄)

船が着くところは楽しくありますよう こんなにちいさな子がいますから

歩き出したばかりのおまえが追ってくる雪のなかころびながら泣きながら

とおくにいる心がふいにひきもどされる背中の子がわたしの髪を噛む

「おうちにかえるのいや」と泣く坊やほかに帰るところはないよ、鳥にも

銀の光あわく放って子ども部屋の畳にころがっていた月球儀

もうひとりのわたしがどこかとおくにいていまこの月をみているとおもう

昭和四年の地図になかった汽車に乗り今ごろ広島にいるわたし

八月の乾いた地面にゆれている洗濯物の影と不安と

誤訳は 四千年人肉を喰らうまぎれなく俺もそのひとり、の箇所

穴のなかの人骨をのぞきこんでいた南京三月底冷えの朝

胸に鳥、ではなく鳥のかたちした空洞があり風が吹くと痛い

あうときは不思議にわたしたち笑って 痛いいのちのことは言わない

霧は海のにおいがしていたここにとどまれないことだけはわかっていた

異国母国超えてはばたく鳥でしょうふたつの言語を両翼として

 ☆

叱られて外に出された弟をさがす夜道のフウセンカズラ

子どものまま老いる空にも夜はきて あの子は帰る家をもたない

水いろの塗料はがれた舟が冬の岸にある あいたい人は死者

あるいは黄泉へつながっている亡きひとの声こだまする耳の洞窟

わたしの骨の耳は母さんの声を聴く(見てごらん夕焼けがきれいよ)

路地裏の階段からはゴミ置き場と大人たちの嘘がよく見えた

ゲットーの四角い空から降る雪をみているもうすぐ永遠に留守

祖母が飴を入れていた小さなカンカンのようなカンカンこれが 地雷

おもちゃみたいなカラフルボール新しいクラスター爆弾の子爆弾

死んだ子のほかには知らない わたしが死んだ子の友だちだったこと

生きているわたしは生きていることで父母を殺した兵士と同じ

わたしだけが知っている床の血の染みの父さんのかたち母さんのかたち

見えないが 瓦礫の下に幼虫のように埋まっている子どもたち

夕闇の廃墟に父は 見つからない娘の教科書だけを見つけて

かつてここにあった家もなく人もおらず死んだ祖母が瓦礫を片付けている

ひと椀の食事を求める人々の列 千年も二千年もつづく

虚空に青い地球が見えてもう二度とそこにはもどれないとおもった

窓枠ももう消えている窓の向こう、はだかの雲がながれています

にくたいのむごくくずれた子どもたち、あり。劣化ウラン弾被害の写真に

(なぜわたしでおわりにしないかしないならわたしのくるしみはなんのためか)

原爆が落とされているにくたいに顔があるあなたのよく笑う顔

春はまたチェルノブィリにめぐりきてしずかに消えつづけるいのちは

お誕生会の三角帽子かぶった子と物乞いする子 強化ガラスを隔て

人間が埃のように灰色に路上に吹きよせられていて 母と子

(風のように年寄り)風が吹く街で煙草の一本ずつを売り歩く子も

雨に蒼くただれる街の底にいる ずぶぬれの少年たちの一群れ

ここに似た別のスラムでは(海のほうだ)人びとは腎臓を売っているという

ゴミ山も遊び場である。少年らが投げあう腐ったりんごのボール

無心にゴミ拾う少女のすりきれて色を失くしているワンピース

まひるまの星座のかがやき屋根や壁の穴からもれる光をつなぐ

一枚の皿に家族の一日のいのちをのせているつつましく

しあわせ、と子どもらは言う。家族がいて神様がいてゴミ山がある

路地のどこかに死が降りてくる ゆうやみの路上で子らは遊びつづける

わずかばかりの米とロウソク買いにきた少女を照らすはだか電球

傷つけられていても黙って微笑する人々がいる この世の底に

何度でも壊れてきたからあたたかい女たちいて異郷が故郷

煙の空に星をさがした(きっととおいおさななじみだ)ここにいる子の

三界の重い夜空に鍵穴を抜けた光のような星たち

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